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ノスタルジアトリガー

nostalgiatrigger

ここ最近、石垣島は梅雨入りしているとは思えないカラリとした晴天が続いている。

今朝は久しぶりに重い曇り空とともに夜が明け、しばらくはドウという風が吹き荒れた。
陽が昇るにつれ、雲は空の隅へと押しやられて今日も青空が勢力を広げてきた。

今日はどうしたわけか、子どもの頃の夏休みを思い出す。
湿度を含みつつも心地よく涼しい風と、陽の光のコントラストが、ちょうどクーラーのかかった寝室のカーテン越しの光を思い出させるのかもしれない。平野の、もう今は誰か他の家族が住んでいるあのマンションの一室。

郷愁にひたっていると、フと母に図書館へ連れて行ってもらった記憶が蘇った。
あれはどこの図書館だったのか覚えていないけれど、確かいつもの図書館とは少し違う、車で行った大きめの図書館だったような気がする。
国語の授業で一話だけ読んでいたブラックジャックの単行本と、鳴く虫の図鑑(大人向けの専門書)を借りた。我が家は漫画には縁遠かったから(禁じられていたわけではないけれど、よしともされていなかった。姉などは禁じられていたのかもしれない)、マジメな図書館に漫画があるということが新鮮だったし、嬉しかった。

鳴く虫の専門書は面白くて、せいぜいシバスズとマダラスズしかいないと思っていた〇〇スズと呼ばれる小さなコオロギに、いろんな種類がいることを知った。クマスズ、ヤチスズ、ヒゲシロスズ… またしばらく、ビニール袋を持って夜の草地に這いつくばる日が続いた。あれは今、干潮のたびに海へ出てハタの仲間をコレクションするワクワクと何も変わらない。やっぱり、小学生の頃の自分がすべての原型なのだ。

そして、そうやって原型を形作ってくれた親に本当に感謝している。


 
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正しいこと、とは

Huluで何となく選んだ『十二大戦』を見る。人間なのか人外なのか、微妙なラインの(明らかに超常的な能力の持ち主たちだけれど、人外と突き放しきれない)登場人物たちが、ありえそうでありえなくて、でもありえそうな世界で闘い合う。その設定の自由さに、でも簡単に納得させられるのは西尾維新という人の凄さだろうか。

単純に面白かったのだけれど、うーむと考えさせられたのは最強の戦士と設定された丑の失井。ひたすら正しく、ひたすら強いという設定なんだけれど、彼が寅の妬良に「どうすればそんなに正しくあれるのか」と問われた時の、「まず、正しいことをしようと思う。そして、する。」という返答には、まったくその通りだなあと思った。「いつの間にか道を踏み外したとか、ただ何気なく間違ったことをしたということはあるけれど、知らないうちに正しいことをしていたということはない。正しいことをするには、正しい意志が不可欠なのだ。」この言葉が事実として正しいのかは考える余地があるけれど、少なくとも人間が日々を生きる上ではこの言葉は間違いなく正しい。

とすれば、そんなに努力しなければ得られない「正しい」とはどういうことなんだろう。なぜ正しいことにはいつも努力が必要なんだろう。それはつまり努力そのものが正しいということなんだろうか。

この言葉に出会ってから、自分の心の動きに少し客観的な視線を向けてみて、正しい意志を持とうとする。けれども、意志が弱いんだろう、それが実行に結びつかない。失井は「正しい意志を持ちながらその実行を迷うのは愚だ」と言っていたけれど。「正しいこと」の実行に道のりは遠い。ほんとに、ここで言う「正しいこと」なんて、食べたらすぐに洗い物をするって程度のものなんだけれど。そんなことすら、今の自分の意志の力ではコントロールできていない。


 

雰囲気だけで人を傷つける

八重山局にて「ゆうメール」差し出し。
ゆうメールは基本的に冊子もの(もしくはCDやDVD)しか送れないので、内容物を確認できるようにしておかねばならない。その方法は①封筒の一部を開けて中が見えるように ②封筒を透明にして中が見えるように ③中身の見本を提示する のいずれか。いつも③の見本提示をしているのだけれど、これが局員さんによってしっかり見る人と実質ほぼ見ない人とがいる。つまり人によって対応が違う。
今日の局員さんは不慣れなのか、封筒を切って中身を見せるようにと言ってきた。あー、そのパターンか。めんどくさいなあと思い、ほんのかすかに苛立ちを匂わせつつ「いえ、見本提示で大丈夫と聞いていて、いつもそれでやってもらってます」と早口に言う。局員さんは奥のエライサンにお伺いに行き、戻ってきて「はい、それで大丈夫です」と言った。「645円です」僕はさっき苛立ちを匂わせたことを隠すかのように「はい」と言ってお金を渡し、「お願いします」と言ってカウンターを離れるのだけれどなにせここ数日声を出していないものだからうまく発音できない。「はい、それで大丈夫です」の台詞に対して僕はきっと全身から「それみたことか」の雰囲気を発散しただろうし、局員の彼もそれを感じて少し嫌な気持ちになったことだろう。うまくいかない時に限って、郵便局の窓口においてすらそうやって「雰囲気」で人を卑屈にさせてしまう。

 

Facebookプロフィール写真三色旗問題

Facebookのプロフィール写真三色旗問題。
Facebookのリアル友達とコンフリクトしたくないので、誰も見ていないであろうここに書く。

僕はあくまで、三色旗にはしない。
理由は掘り下げればいろいろあると思うんだけど、一言でいうと「変えることであれこれ言われる、思われるのが嫌」だから。「こういうのに反応しないキャラ」というセルフブランディングもあると思う。

そんな理由で腰を上げないから、こういう時に他人からどう見られるかを気にするよりも自分の思いに素直にしたがって行動するタイプの人を、とてもすがすがしいと思うし、羨ましいと思うし、コンプレックスを感じもする。

あくまでその前提で、三色旗プロフィール否定派の論調を見るに…

A-①プロフィール画像変えただけでこの問題について考えたつもりになるのは浅薄すぎるのでは ←わかる
A-②だから、三色旗プロフィールはやめるべき ←わかる

B-①フランスへ過度に肩入れすることで日本も標的にされるのでは ←言ってることはわかる
B-②だから、三色旗プロフィールはやめるべき ←わかる

C-①悲惨な状況なのはシリアも同じ、フランスだけに注目するのはおかしい ←わかる
C-②だから、三色旗プロフィールはやめるべき ←これがわからない!!

Cの論法で三色旗プロフィールを責めるのを見ていると、正直なところ否定する格好の標的を得て「賢明な私」をアピールしているだけにしか思えない。

中身の正しさはさておき、理屈ではC-②のところに来るべきは「だからシリアも含めてしっかり情報収集すべき」とか「だからシリアの国旗も掲げるべき」なのでは。
でもそれを宣言するのは意外に勇気がいる、実際そこまで本気でこの問題にコミットする人は滅多にいないだろうから。

この数日のうちに読んだブログの中に、「だから僕はこれからきちんと情報収集をして、この問題をしっかり考えることを宣言します」というようなことを言い切ってるのがあって、すごいと思った。
どんなブログだったか思い出せない…と思っていたら、履歴に残ってた!これ。
パリ襲撃テロと、僕の頭の中の話

心に塵ひとつない

亀田興毅が引退した。それに関するニュースのコメント欄に溢れている「亀田は悪いやつだから叩いて当然」な人たちの、美しいまでに澄み切った素直さがおぞましい。素直であると同時に、かれらは報道を通じて亀田を悪いやつだと心から信じていながら、二言目にはその報道を行う「マスコミ」を非難するという矛盾した「裏切り者」でもある。身近にこんなにも見苦しい人はほとんどいないのに、ネットのコメント欄にはそういう人が群がるように湧いているのが不思議だったけれど、この矛盾に気づいて腑に落ちた。かれらはネット(あるいは彼らが最も忌み嫌うマスコミ)によって生まれ、その手のひらの上にありながら一生懸命天に向かって唾を吐いている。当然、手のひらの外に世界を持っている人とは実際に触れ合う機会がない。「亀田は悪もの」も、「マスコミは情報操作してる」も、結局は笑ってしまうほど陳腐で表層的なものの捉え方なのだけれど、どこかで聞いたそれらを心から信じて受け入れる、心が塵一つないクリーンルームになっている素直な人々なのだ。
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