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生の目的

土ボタルのように、ハイスペックな幼虫時代を経て迎える成虫生活が、口が無いために何も食べず何も飲まず、ただ交尾して子を残して死んでゆくというようないきものを見ると、改めて生きる目的のようなものについての自分の考えが間違っているのだと思い知らされる。成虫が本番で、幼虫がそのための準備期間なんじゃない。成虫は確かに、それ以上の物理的な成長が無かったり生殖能力を得るという意味においてゴールや完成形だと言えるけれど、だからといってそれが本番=目的だとどうして言えようか。
きっと、ひとつのいきものの命に準備期間も本番もない。時間とつきあって、道々の草木のいっぽんずつに目をこらしていた子どもの頃だって本番だし、そういう時間を失ったかわりにたくさんの思いを心の内に醸成している今だって本番だ。目的がないと不安だし、目的のある生き方が何かを生み出すにはいいということもわかってる。でも、それとは少し違う次元で、自己目的化したような生の意識を持つことによってこそ得られるものや感覚というのもありそうだと思った。


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